こういう経験は、もう人生で二度とできないかもしれない。きっと、貴重な経験なのだろうと思う。だから今、忘れないように記しておきたい。こういうたぐいの経験は、学術分野でも、商業分野でも評価されないから。あくまで、私の個人の中で蓄積され、いつか記憶の彼方に消えていくものだから。ひまわり8号リアルタイムWebを公開したのが2015年7月7日の正午ごろ、今は2015年7月10日の正午だからちょうど3日がたった。この3日間、私はずっとTwitterとアクセスログをチェックしていた。その間、思ったよりも緊張感をもってログチェックしていたことが今になってよくわかる。仕事したあととも、スポーツをしたあととも違う。今までに経験したことがない奇妙な疲労が、頭と体にどっと蓄積している。アクセス数が少なくないか、誰も見てくれなかったらがっかりだ。またはアクセスが多すぎないか、そしてアクセス過多でサーバがダウンしないか、ネットワーク(ファイアウォール)はオーバーフローしないか。アプリケーションはスムーズに動作するか。Twitterではどんな評価がされているか、よい評価か。悪い評価か。みんなに満足されているか、追加機能の要望はあるか。
結局報道はされなかったが、7月7日には報道ステーションの取材も受けた。もしURLが番組内で放送されたら、すぐにプロキシサーバを立てる準備をして7月7日の番組をじっと見ていた。報道されなかったことに少しがっかりしつつも、ほっとしたというのが正直な気持ちだ。それにしても、3日間で75000を超えるアクセスがあったことは驚きだ。メディアでもほとんど露出していないこのサイトが、おそらくTwitterと口コミだけでこれだけの人たちの目に触れた。そして、多くのつぶやきが「宇宙から見た地球の美しさ」をそれぞれに語っていることが素晴らしい。ツールの出来の良し悪しとか、操作性だとか、そういうことではない。純粋に、みんながそこに示されている地球の姿に魅入っている。私がこのツールを作りたいと思ったのと、全く同じ気持ちがそこにはある。初めてひまわり8号のデータを見た時、もちろんそれは何か月も前だが、この画像は絶対に気象予報や研究の世界だけで終わらせてはいけないと思った。もっと別の力が、その画像にはあった。
気象研究者や予報機関よりも、ビッグデータや情報通信組織の方が、この手の仕事は得意だから、気象学の専門家ではない私だが、役に立てそうな気がしたのだ。とはいえ、がっかりするWebアプリは作りたくない。幸いなことに、私の周りの技術者の人たちはみな優秀で、多くの期待に応えるだけのログを分析して分かったが、この75000アクセスのアクセス元は一か所ではない。一番アクセス数が多いサイトでも、アクセス全体の0.3%しか占めていない。たった30アクセスのアクセス元サイトがトップ20に入っている。つまり、この75000アクセスのほとんどは、おそらくは個人なのだ。業務としてはなく個人として、数多くの人たちがこのサイトを見ている。日本のどこかから。この3日間、私はその見えない75000人(延べ人数だが)と向き合っていた。いつ、どこから、どんな気持ちで、どんな風にこのWebにアクセスしているのかわからない大勢の人たちと、アプリケーションを介して向き合っていた。それは誇張ではない。本当にそんな気分だった。経験がない疲労は、見つめられ続け、そして見つめ続けた緊張感から来ている。
ひまわり8号リアルタイムWebを見た人のつぶやきは、3日間で450人を超えた。Twitterが全ての気持ちを表しているというつもりはない。私自身も普段はTwitterを使うことがほとんどないのだから。450人分のつぶやきは、必ずしも75000人の気持ちを代弁しているわけではないかもしれない。それでも私はこの3日間、Twitterを見続けた。そのつぶやきの全てを「お気に入り」に保存した。今も、一人一人のつぶやきを、何度も読み返している。「手の上の地球」と書いていた人がいた。「地球って本当に美しい」とつぶやいた人がいた。「眠れなくなった」と夜中に書き込んだ人がいた。人生で初めてこんなにも多くの、見えないどこかの人たちを、こんなにも身近に意識した。ひまわりという衛星のカメラを通じて同じ一つの美しい地球を見ている。日本中のいろんな場所から、みんなが同じところを一緒に見ている。それはまるで、日本中に広がったプラネタリウムのように…。
そのバーチャルで奇妙な緊張感。そして、少しだけ誇らしく喜ばしい気持ち。一方で、サーバやネットワークを落としてはいけないというプレッシャー。きっと、人生でこんな気持ちになることはもうないだろう。Webにアクセスしてくれた人たち、Twitterに書き込んでくれた人たち、このアプリを作ってくれた技術者の人たち、衛星の打ち上げと観測に関わった人たち、皆さんに感謝。