-活発な活動が続く中国・四国・九州地域-
第7回のJGN-Xインタビューは、1999年のJGN運用開始当時からJGNに関わってこられ、地域活動・交流の中心的存在としても活躍されている5人の皆さまに広島大学・情報メディア教育研究センターにお集まりいただきました。
JGNから始まりJGN-Xに至るまで長くご利用いただく中で感じておられる
●各地域での活動状況と活性化の秘訣
●JGN-Xに対するご意見と今後への期待
などについて、当センターの住友室長を交え、座談会形式でお話を伺っていきたいと思います。
───地域での活動が盛んな中国・四国・九州でご活躍いただいている皆さまにお集まりいただきましたが、当センターの住友室長ともJGN2時代からお知り合いと伺いました。
住友:お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。テストベッド企画構築室長としては2013年7月に着任したばかりですが、CRLとTAO*1が一緒になってNICTが発足した2004年から3年間ほど、総合企画部でJGN2の全体に関わる立場におりました。皆さんと久しぶりにお会いして懐かしく思い出すとともに、当時からJGNプロジェクトにご協力いただき感謝しております。
JGNプロジェクトは、JGN2、JGN2plusを経てJGN-Xとなり、最先端の研究を目指すため、SDN(Soft Defined Network)の方向でかなり成果も出ています。これからは高度な技術研究に加えてその利活用を両輪として新世代ネットワークを促進していくステージになってきていると感じております。
坂内・NICT新理事長が打ち出した『O3(オーキュービック)NICT*2』というNICTの活動におけるスローガンの中にも「Open=国の研究機関としてみんなで活用していこう」というものがあり、最先端の研究者だけでなく、地域における自治体・大学・企業の連携など利用活性化を広く求められています。JGN-X利活用や地域連携の面から、地域での利用促進にご活躍されている皆さんの生の声を伺えればと楽しみにしております。本日はよろしくお願いします。
───では、中国・四国・九州の地域協議会代表として、それぞれJGNプロジェクトとの関わりと活動についてお話いただけますか? まずは、今回の座談会の会場をご提供いただいた相原先生、中国地域代表でお願いします。
相原:私自身のJGNとの関わりは1999年からです。当時インターネットの普及活動をしており、より多くの方が実際にインターネットを利用することの重要性を実感していました。そのときにTAOが実験的に次世代ネットワークを全国展開するという話を聞き、興奮したことを今でも覚えていますが、これがJGNです。しかし、当時のJGNは手続きが非常に難しく、いろいろな人が自由に利用するには程遠い環境で、若干不満が残りました。どんないい技術でも、特にインフラ技術は使われないとダメですからね。
そこで、2004年のJGN2運用開始のときに利用促進部会長を拝命したので、技術の進歩に注力するだけでなく多くの方に利用してもらえることを目指して、4年間の任期の前半で全総合通信局の管内を回りました。後半は、多くの利用者と協力し、多様なアプリケーションをJGN2の上で動かすというところに注力して、活動しました。
また地域での活動という意味では、JGN時代の2001年頃、アクセスポイントの増設に伴い、中国地方に中国超高速ネットワーク連絡協議会を立ち上げ、現在に至るまで座長として、各県を回って利用のお願いをしたり、年2回のイベントとしてフォーラムと総会を開催しています。
住友:JGN2の利用促進部会長時代、研究開発プロジェクトを全県で立ち上げる手助けをしていただいたとお聞きしています。
相原:はい、多くの都道府県の方とお顔を合わせて交流を図ったことが良かったですね。JGN2plus以降も、この活動を続けたら良かったのかもしれませんが、JGN2plus以降アクセスポイント数が縮小気味だったので、残念でした。
───四国地域の代表で、福本先生いかがですか?
福本:私も相原先生と同じように、関わりは1999年のJGN運用開始時からです。高知県は、JGN時代に高知通信トラヒックリサーチセンター、JGN2時代に四国リサーチセンターが設置されていたので、全国のリサーチセンター同士でかなり交流がありました。しかし四国での地域活動を振り返ると、JGN時代のギガビットネットワーク四国連絡協議会では、JGNがあまり使いやすい状況になかったこともあり、年に1回総会をやるぐらい。JGNの利用促進には貢献してなかったですね。そこでJGN2になって私が四国のリサーチセンター長を仰せつかった2004年、「これではいけない」と考えてJGN2四国連絡協議会利用推進部会で四国の研究者が集まれるイベントを企画して、利用促進を進めました。このときには四国以外から相原先生や広岡さんにも来ていただき、JGN2の使い方や実績、先進的な研究の紹介をしていただくなど、人的交流も行いました。
───お二人のお話をお聞きしていると、JGNも地域活動もやはり人同士の交流が、利用促進というか活性化のポイントなんでしょうか?
福本:そうですね。研究者を見ていると、交流がないとどんどん固まって狭い方向に行きがちで、新しい発想も出てこないんです。実はJGN-X開始時点で四国にアクセスポイントがなくなり、四国連絡協議会は一旦解散しました。しかし交流の枠組みは大事にしたいと考え、別で交流活動をしていた四国情報通信懇談会と相談し、その中に「ICT研究交流フォーラム」を作りました。この名称に交流という言葉を敢えて入れ、研究者だけの研究発表の場にせず、ICTに関わるすべての民間の方・技術者の方などが気楽に参加できることを目標に、幹事として各県2名以上、うち1名は必ず民間企業の方に参加していただき、事例紹介などを目的とするセミナーを年3回ほど四国各地で開催しています。事務局として四国総合通信局に入っていただいたので、本当の産学官連携。その結果、セミナー参加者が常に100名を超えるようになり、講師を招聘してセミナーの内容を少人数で詳しく学ぶ勉強会や広島・東京への見学会などのイベントも企画するようになりました。おかげさまで、会員もどんどん増えております。
───四国での活動が活性化している証拠ですね。どのぐらい会員が増えたんですか?
福本:ICT研究交流フォーラムができて3年目で、会員数はほぼ2倍近くになっています。うれしいことに、会費を払ってでも入りたいという企業会員が増えています。2年目からはJGN-Xアクセスポイントもでき、活用できる環境も整いました。
───では、九州代表で広岡さん、お願いします。
広岡:私は1998年、北九州市の若手管理職時代にJGNの立ち上げ要員として東京のTAOに1年弱派遣されたのがスタートですから、このメンバーの中で、JGNとの関わりは一番早そうですね。その派遣先で当時最先端であるATMネットワークやマルチメディア機器の仕様を始めから勉強し、毎日徹夜に近い形でICTのテクニカルな部分を凝縮してかなり詰め込んだ感じです。またテクニカル以外の部分でも、TAOには郵政省(当時)やメーカーの方たちが来ていたので、国の通信行政やメーカー本社の方針や考え方などを間近で勉強させていただきました。その後、北九州市に戻り、「北九州ギガビットラボ」の運用責任者になったわけですね。ギガビットラボというのは、JGN活用のための共同利用型の研究施設です。
───JGN時代、ギガビットラボは全国に5か所。つくば・けいはんな・北九州・京都・岡山にありましたね。
広岡:はい、その1つです。当初は地元活性化を中心に、北九州市の企業の人たちにラボの活用を推進する活動でしたが、運用2年目からは九州の全大学を回り、全国につながり、かつ無料で利用できるギガビット級の超高速ネットワークJGNを幅広く知っていただくために、プロジェクトを立ち上げる手助けをしていました。九州各県の大学を相互接続したプロジェクトも作りましたね。
その中でこの利用促進活動の体制を整えるため、JGN2の利用促進部会と同様、親会の下に部会を作るという形式で2004年、「次世代超高度ネットワーク九州地区推進協議会」という地域協議会の下に「次世代超高度ネットワーク九州地区推進協議会 推進部会」という下部組織を作りました。JGN2時代、九州以外の全国は相原先生と利用促進部会で回り、この下部組織の推進部会で九州地区を回り利用促進活動をしたので、JGN2時代、たくさんのプロジェクトと産学官の強い人的ネットワークができたんです。
この組織はJGN2最後のときにJGN2という枠組みからさらに発展し、九州での産学官連携事業推進の大きな受け皿組織とすべく、KIAI(Kyushu Island Alliance of ICT、九州情報通信連携推進協議会の略称)となりました。
───現在のKIAIは、2010年に九州テレコム振興センターと九州情報通信連携推進協議会が組織統合したものですよね。日本語名称は九州テレコム振興センターで、英語の略称はKIAIのままですか?
広岡:英語名称もKyushu Island Alliance of ICTのままです。このKIAIという組織は、JGNの地域協議会という位置づけに留まることなく発展し、「JGN2から生まれたKIAI」という立ち位置で独自にJGN2plus・JGN-Xをサポートするだけでなく、九州のさまざまな地域情報化活動を支援していくことで、九州地区でのアクティビティを拡大しています。
───広岡さんからも、JGN2がキーワードとしてに出てきました。JGN2時代は利用促進の活動が活発だったんですね。住友室長もいらしたときだと思いますが・・・。
住友:はい、懐かしい話も盛りだくさんですね。福本先生・広岡さんのように地方でも頑張っていただいたように、JGN2側でも利用促進部会の活動で相原先生はじめ多くの方たちと一緒に、JGN2の認知と利用拡大のための活動を行いました。関係する研究者の方々や地域間の情報交換等の促進を目的とし、毎年JGN2シンポジウムを開催したり・・・。
広岡:JGN2シンポジウムは地方の持ち回りで、いろいろなところでやっていましたよね。
相原:なかなかの大イベントで、毎年毎年大変でしたが、面白かったですね、本当に。このJGN2時代には一緒に顔を合わせて話し合って、アフター5でも一緒に話を弾ませて・・・
福本:全国各地でご一緒しました。
───楽しそうで、活気が感じられますね。
座談会の会場となった広島大学の
情報メディア教育研究センター
当センター・住友室長
(テストベッド構築企画室)
*1:CRLとTAOとは
NICT(情報通信研究機構)の前身。2004年4月、通信総合研究所(CRL)と通信・放送機構(TAO)が統合して、発足した
*2:「O3 NICT」とは
NICTの活動として取り組む3つの「O」は以下のとおり。
(1)一丸となって日本の情報通信分野にイノベーションを起こす思いを込めた「One」
(2)国の研究機関として開放された運営を図り、みんなで活用していこうという意味の「Open」
(3)世界に向けて優れた成果を創出・発信していく意気込みを示した「Outstanding」
広島大学・相原玲二教授
中国超高速ネットワーク連絡協議会
の活動報告<PDF>
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高知工科大学・福本昌弘教授
四国連絡協議会
ICT研究交流フォーラムのサイト
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KIAI・広岡淳二事務局長
KIAI(九州テレコム振興センター)
のサイト
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