-社会に貢献する研究を目指して、JGN-Xを積極的活用-
第1回インタビュー『JGN-Xが目指す先とは?』において、「多くの研究者・ユーザの皆さんにJGN-Xを使っていただき、遊び・学びながら、一緒に新世代ネットワークを推進していきたい」という下條センター長のメッセージがありましたので、第2回インタビューでは、JGNユーザにフォーカスを当ててることとしました。
JGN時代から続けてJGN-Xを活用中のヘビーユーザの皆さまに、今回のテーマとともに「JGN利用のきっかけ」「JGN-Xのメリット」「これからのJGN-Xへの要望」など、生の声を伺いたいと思います。
東日本大震災から1年半が過ぎました。当センターでは、東日本大震災を踏まえて、非常時に役立つという視点からのネットワーク技術の研究や実証も進めています。またJGN-Xユーザの中には、東日本大震災の被災地域や南海トラフ巨大地震の発生が想定される地域の中で、「大規模災害情報ネットワーク」の研究をされている方々もいらっしゃいます。
第2回インタビューでは、被災地の1つである岩手県盛岡市に関係の皆さまにお集まりいただき、JGN-Xを積極的に活用する中で感じておられる「非常時に役立つICT(情報通信技術)とはどんなものか」「社会に貢献する研究をするには」などについて、座談会形式でお話を伺いました。
<ユーザ座談会/プレインタビュー「震災復興にJGN-Xが役立てることを考えて」へ>
───はじめに、先生方の研究テーマである「大規模災害」と被災後の課題を伺っていきたいのですが、まずJGNを利用してこの研究を始めたきっかけは何ですか?
柴田:岩手県立大学は1998年開校ですが、当時まだ東北では情報インフラの整備が非常に遅れていたんです。中山間地域が多いことが原因ですが、山々などに遮られた僻地と言われる地域だからこそ、いろいろな情報が互いにやり取りできれば、教育や医療、そして安心・安全などが確保できるんじゃないかと考えていました。そんなとき、1999年4月にギガビットの高速ネットワークJGNが運用を開始したので、うちの大学でこれを使って、条件が悪い地域をなんとか解消できないかと考えたのがそもそものスタートです。つまり、JGNを使うことで情報インフラを整備し、地域産業・地域教育・地域医療のレベルを向上させたいということがきっかけですね。
───JGNはJapan Gigabit Networkの略で、「研究開発用超高速ネットワーク」と呼ばれていましたが、これが第一の魅力だったんですか?
山口:当初の幹線区間は622Mbps×4本で2.4Gbps。それで、ギガビット級と呼んでいましたが、JGN-Xは、今、最大40Gbpsです。
柴田:当時はADSLが広がりつつありましたが、岩手県や福本先生の高知県ではまだ、なかなか。そういう中で、JGNでは今までの数十倍以上、ギガオーダーの帯域を確保できるのですから、いろいろなアプリケーションや映像コンテンツなどを湯水のごとく流せるようになり、新しい教育や医療などの可能性が広がることを、本当に実感できるようになりました。
福本:高知も東京から離れており、地域間格差が大きかったですからね。JGNが運用を開始した当時は、潤沢なネットワークが魅力的でした。
柴田:その頃、岩手県立大学での研究テーマは教育。ノースカロライナとともに地域看護についてプログラムを共有し、最先端の看護教育に実際、活かしていました。もちろん、学生の単位になります。
さらにこの10年あまりでJGN、JGN2、JGN2plus、JGN-Xと高速ネットワークがだんだんと発展していく中で、もっといろいろな可能性が出てきました。映像とか防災、VR(仮想現実)の技術とか。そうすると、地方の大学にいても、中央の大学やその他の大きな研究機関などとも対等というか、同じ仲間として研究交流したり、実際にテストベッド上でデモンストレーションをやったりとか、シンポジウムを行うことができる。地域性をネットワークでうまくカバーできるような発展だったんですね。
───地域性をカバーして一緒に研究交流できるようになったというのは、面白いです。
柴田:そうなんです。我々は単なる東北にある公立大学の1つに過ぎないけれど、九州・大阪・高知・静岡などとダイレクトでつながるわけですよ。JGNがないときは今まで全然触れ合うこともなかった研究者たちが同じテーマをもって、実験や技術的な面も含めて交流ができるようになりました。
バーチャルなネットワーク上でのコミュニケーションから始まり、実際に行ったり来たりという真の交流につながって、研究グループや人的ネットワークができました。JGNを使わせていただいたおかげです。
───ありがとうございます。10年以上にわたり、このJGNシリーズ(笑)を利用いただいたJGN-Xユーザの生のお言葉は、本当にうれしいです。
柴田:ずっと使い続けるなかで人的交流も深まってきましたし、JGNが進歩し、帯域が広がるとともに我々の研究も、本当に変わってきました。
───研究が変わったとのことですが、柴田先生たちの研究テーマが当初の教育的なものから災害情報になったのは、どうしてですか?
柴田:地域看護教育をやっている間に、我々は別の体験、たとえば岩手山が噴火寸前になるとか岩手・宮城内陸地震などがありました。そのときに考えたのが「分散」です。大学のサーバなどのリソースは壊れたり故障しても、機能的には動かしていかなければなりませんから、サーバシステムを分散する必要がある。トラフィックもご承知のように災害時になると数十倍に増え、コミュニケーションができなくなるわけですから、トラフィックや機能も分散する必要がある。だからこそ、この解決のために「分散」を研究し、技術を自分たちで作らなければいけないということになったんです。今ならクラウドなどのソリューションで解決するかもしれませんけれどね・・・・。
そこにJGNという全国規模のネットワークがあるわけですから、その中でサーバを分散すれば、危険や負荷も分散できるとともに、トラフィック的にもかなり太いので、吸収できるだろうと考え、「分散災害情報ネットワーク」の研究を始めたんですよ。
───先生がこの研究を始められた当時、IT支援センターが岩手・九州・埼玉などにできました。
柴田:そうです、そうです。まさに今おっしゃったとおり、NICTの事業でIT支援センターがうちの大学でもこの研究室の向かい側にでき、いろいろな地域情報プロジェクトの研究が行われるようになり、その1つが「災害情報システム」でした。それで九州、北陸、本庄の早稲田などをつないでサーバを置かせてもらって、分散して、協調動作できるようになり、この研究を進めました。当時の九州リサーチセンターにいた広岡さんや九州工業大学の尾家さんなどとも、岩手のIT支援センターで交流を始めたんです。
山口:先生たちが、今の地域連携プロジェクトのベースを作られたんですね。
柴田:我々から見ると、JGNとこのセンターは大学だけではなく、この地域全体のICTのポテンシャルをアップするなど大きな意味がありました。学生のレベルもドクターも育ったし、マスターも育った。橋本先生の多地点間相互通信を可能にする「MidField System」の研究も進み、遠隔地をつないでの教育・TV会議・イベントに活用するようになり、タイムリーで非常に効果的だったと思います。
───先生たちのJGNを使った「災害情報」の取り組みも、本当にタイムリーですね。危険と負荷の分散とは、ディザスターリカバリーセンターのような考え方ですか?
柴田:そうです。でも、我々の災害情報の研究は、他からお金をもらってやったというのではなく、スタート時は静岡県立大学や埼玉工業大学などと協力して、手弁当で自前のサーバを立てて、それらを共有しようということだったんです。それで、それらをつなぐネットワークはというと、「無料で使えるJGNがあるじゃない」という話になって・・・(笑)。手弁当と言っても、サーバの費用だけですね。
それに離れていても、「MidField System」もありますし・・・。
───なるほど。先生たちが「災害情報」の研究に取り組むときの障壁は、JGNのおかげ(笑)で、かなり低くなったんですね。
柴田:もう、ほとんど壁がない状態。始める時からなかったんです。だから、JGNは我々の研究に、本当に役立っています。潤沢に研究予算があるところは別かもしれませんが、地方の大学や研究機関などの多くはなかなか難しいですからね。
福本:高知では、JGN・JGN2とリサーチセンターがあり、太い線が来ていましたので、まずはそれを利用しよういうことでVRのような画像処理の技術を使った伝送などの研究から始めました。やはり、壁はなかったですね。
───研究費用を有効活用していただくために、新しくJGN-Xを使おうと考えているユーザに是非アピールしたいですね!